クラウドファンディングでODA予算を調達?SDGsへ向け民間資金を開発資金へ活用
Sunday, 6 September 2015 by Ippei Tsuruga Original article: The Povertistクラウドファンディングで開発援助予算を集めるのが良いのでは?外務省の若手担当官と意見交換をする中で出たアイデアだ。日本には寄付文化が根付かない土壌がある。非営利団体へ寄付が集まる欧米と異なり、開発資金を個人から集めることは、日本では容易ではない。しかし、クラウドファンディングはどうだろうか。スタートアップ企業やNGOがインターネットを通じて寄付・投資を募る新しい仕組みで拡大傾向にあり、ネパール緊急支援でも注目された手法だ。 日本の政府開発援助(ODA)を実施する国際協力機構(JICA)も細々と寄付を募っているが、クラウドファンディングで援助資金を調達した例はない。それだけに、実施できればとても面白い。 JICAがクラウドファンディングで案件予算を調達するとどうなるか? JICAが案件を実施する場合、一般的にいくつかのステップがある。 開発途上国政府から要請を取り付ける(分野・内容が細かく記載されている企画書)。 日本政府・JICAで案件審査を行い、採否を決める。 閣議決定。開発途上国政府へ採択通知。 開発途上国政府と合意文書締結。 JICAがクラウドファンディングで直接資金調達をするアイデアは、2と3を省略するもの。一般的に、JICAが実施する無償資金協力・有償資金協力・技術協力は国民の税金を活用するため、2と3で日本政府で慎重な審査が行われる。そのため、このプロセスに数か月から数年要することもあり、特に民間の感覚からは「足が遅い」と揶揄されることも。開発案件は、問題の発言と関係者の熱意がタイムリーに組み合わさることで実現する。刀鍛冶と同じで鉄は熱いうちに打てが鉄則なはずだが。もし、クラウドファンディングでJICAの担当者がプロジェクトをプレゼンし、賛同する日本国民からインターネットを通じて直接案件資金を募ることができれば(税控除対象)、賛同の得られるプロジェクトをより早く実施することができる。日本国民にとって日本の援助は、ODAの資金規模や青年海外協力隊(JOCV)といった大雑把なイメージしかない。クラウドファンディングが実現すれば、国民参加型の案件実施が可能になるのではないだろうか。更に、日本国民に限定する必要はない。クラウドファンディングを通じて全世界から資金を集める。日本の援助のスポンサーを全世界から募る。日本の援助は何をやっているかわからないと言われて久しいが、それならばスポンサーになってもらい、同時に知ってもらう。新しい時代の新しい政府開発援助の在り方ではないだろうか。 [...]
国際協力の資質、開発途上国の援助に必要な専門性とは?
Tuesday, 11 October 2016 by Ippei Tsuruga Original article: The Povertist CONTENTS 国際協力に必要なスキルや資質は1つではない 国の専門と地域の専門 二国間援助機関と多国間援助機関で専門性が異なる 専門分野によってアプローチが異なる 国際協力に必要なスキルや資質は1つではない 国際協力を仕事として生きていくためには何が必要ですか?開発途上国の援助のプロになるための資質とは何ですか?これまで、このような質問をたくさん受けてきた。正直なところ、「なんだろう?」と、そのたびに考えさせられるのが本音だ。聞かれるたびに、私の回答が異なるものだから、聞いている方は困ってしまうかもしれない。要するに、決まった答えはないということだと思う。 今、この質問をされれば、こう答えるだろう。必要とされる専門性や資質は、国際協力のどの分野、どの組織で働くかによって変わってくる。 [...]
西洋のYesと日本のYesの違い
Monday, 1 August 2016 by Ippei Tsuruga Original article: The Povertist 日本は組織、西洋は個人で仕事をする 開発途上国の援助を生業としていると、否が応でも世界中のプロフェッショナルと仕事をともにすることとなる。その中で日々感じることは、西洋のYesと日本のYesはずいぶん異なるということだ。もちろん一概に西洋とひとくくりにするのは乱暴ではあるが、あくまで私が経験してきた中で感じた「平均」の話である。 会議をセットする場合を考える。日本人の感覚としては、外部の機関と会議をする場合、まず内部の会議で対処方針を固め、組織としてどういう意向を持っているかまとめ上げる。その上で会議へ望み、相手機関に対して意向を伝える。組織対組織の会議が前提だ。 一方、西洋人(少なくとも北米とラテン系)と会議をする場合、驚くことがよくある。テンポよく打ち合わせが進んでいると思って聞いていると、「I(私)」という言葉が必ず出てくる。「私はこう思っている」という言い方をしているわけだ。日本人の感覚としてはありえない。組織のトップでない限り、組織を代表して代弁するのだから「We(私たち)」が主語となる。 ここには大きな隔たりがある。西洋人はあくまで、自分がどう考えているかを伝えることを会議の目的と考えていて、組織の意見は「上の者」が最後にトップ同士で話して決めればいいと考えていることが多い気がする。自分の知らないことに話が及ぶと、「私の担当外なので分からない」と平気な顔で言う。あとで確認して回答するというのであれば話は分かるが、たいていの場合そのあとのフォローはない。組織の代弁者としての責任感はないわけだ。 会議へ望む前の準備状況にも大きな差がある。日本人が内部会議で組織決定を経たうえで発言・応答要領を手に会議へ望むのに対し、西洋人はコーヒーだけ持ってくることが多々ある。西洋人が下っ端の場合、本当に個人の見解を述べるにとどまる。こういう状況の場合、こちらは組織見解を述べているのに、相手は自分の感想を述べる「ブレスト」に終始し、会議のための会議となってしまう。 こんな感じだから、西洋文化の強い組織(特に官僚機構)との会議に出席すると、「会議ばかりやって何も実際の案件に直結しない無駄な時間」と日本人は感じることが多いはずだ。 一方、西洋人は日本人のことをどう思っているのだろうか。「自分の見解を述べず、組織見解ばかり語っていて面白くない」といわれることが多い。感覚が全く異なる。 [...]